タケコプターってさ


空気抵抗で飛ぶわけじゃないだろうに。

「トリビアの泉」の録画を見ていたら、「大学入試で、ドラえもんのタケコプターが実現できるかという問題が出されたことがあった」てなやつが出ていた。千葉大の飛び級入試の小論文らしいんだけど、それで大学の先生があれこれ模範解答を解説してたんだけどさ。

この人、間違えてるよ。模範解答として解説してる内容が、完全に間違ってる。——そりゃさ、「ドラえもんのタケコプター」って時点で、「あ〜こりゃ要するに真面目な答えでなくてアイデアというか切り口というか考え方を試すものなんだな」ってことはわかるよ。でも、そもそも出題する側が模範解答として間違えているということは、出題そのものを勘違いして出しているってことになる。たとえこういうちょっとばかりふざけた問題だからといって、それでいいのか?

何が間違っているかというと、だ。頭につけてる羽を、空を飛ぶくらいに高速に回転させると、その反動としてそれをつけている人間自体が逆方向に回転してしまう。だからそのままではタケコプターは実現できない。けどヘリコプターのように逆回転を止める手だてを考えれば実現の可能性はある。というような解説をしていたんだよね。「その解説は間違ってるだろ」とか誰も突っ込まなかったんか。いや、力学的な説明だのってことじゃない。

タケコプターは、ヘリコプターのように空気圧による浮力で飛ぶと出題者は勘違いしている。そうじゃないよ。タケコプターは、あの回転する羽で飛んでいるわけじゃない。特殊な動力によって生み出された反重力によって飛んでいるんだ。だから、そもそも「タケコプターは実現可能か」という出題は、いいかえるなら「反重力によって空を飛ぶシステムは実現可能か」ということになる。それに対して、空気抵抗の浮力による飛行の是非を論じたってそりゃあ間違いだろうが。もし、それに対する模範解答を考えるのであれば、「反重力は実現可能か否か」という点について論じなければならないはずだ。「タケコプターは実現可能か」という設問であるならば。

そりゃあさ、「ドラえもんのタケコプター」なんてものを真面目に考える方が変だ、ってのはわかってるよ。だけどさ、仮にも大学入試問題だろう? 普通の入試問題で設問を間違えたりしてたら大問題になるのに、「ドラえもんのタケコプター」は、出題した人間がそれについてまともな知識を得た上で問題を考えていなくても別にオッケーなわけ? 入試問題に出すなら、出題内容について調べるもんじゃないのか? 「ドラえもんのタケコプター」なんて、別にどういうものか調べる必要なんてないわけ? それはつまり、そういう出題をしている本人が、「ドラえもんのタケコプターの実現可能性」という設問をハナからバカにしているってことじゃないか。「どうせ、マンガに出てきたおもちゃなわけだし」という程度に考えてたんだろう。この愚か者め。

もし、その問題で、ドラえもんが大好きでタケコプターについても詳しく知っている受験生がいて、反重力の可能性について滔々と述べていたら、それは正解になるのだろうか。そもそも、そういう答えがなぜ出てくるか、出題した側にわかるのか。

「面白くする」ということは「いい加減」とは違うぞ。出題した側は勘違いしていないか? たとえバカバカしいと思うようなことであっても真剣に考えることから「面白さ」は生まれるものじゃないか。そのへん、もっときちんと考えて欲しいと思うのであった。

・・ついでにいうなら、「トリビアの泉」も、そういうところがあるぞ。真剣に考えることを放棄して、せっかくのトリビアをてきとーに扱っておしまい、ってことがよくある。フジテレビも反省しなさい。いい加減な態度で「知的好奇心を満たす」ということ以上の面白さなどできわけがないのだ。この愚か者め。

公開日: 木 - 11月 11, 2004 at 10:56 午後        


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