国営放送なのかフジテレビは
国に守ってもらおうと考えている放送局に一体何のジャーナリズムがあるのか。
フジvs.ライブドア、連日面白い話題を提供してくれております。新株発行差し止め訴訟ではライブドアのほぼ完勝という感じだし、どうやらニッポン放送の議決権をもつ株の過半数を確保したのが確実なようで、次はフジテレビ本体へと買収を仕掛けつつあるらしい。ライブドアは、レバレッジド・バイアウトとかいう手法を使って3000億もの資金を用意しつつあるという話もある。——なんすか、レバレッジド・バイアウトってのは? と頭の回りに???をぐるぐる回転させてる経営者もたくさんいるんでないか。
世間的には「ライブドアの無知」をあざ笑う人間もけっこういるけど、少なくとも企業買収などM&Aに関する限り、ライブドアはずいぶんと研究をしていることが感じられる。日本の企業は、あちこちの仲良し会社どうしが株を持ち合っているため、こういう「外部からいきなり買収される」ということはない、と思われていた。そういうぬるま湯の中でぬくぬくと今まで過ごしてきたわけだ。少なくとも、そうした現状を破壊するだけでも、ライブドアのやることには意義が見いだせる。今まで「ぼ〜〜〜〜〜っ」としてきた企業経営者の多くは、これで目を覚ましたのではないか。
そして、やることにまるっきり意義が見いだせないでいるのが、フジテレビだ。ニッポン放送の買収もライブドアの思った通りに展開しつつあり、更にはフジテレビへも触手を伸ばしてきた今、フジはどうするか注目されていたが、今日のニュースでフジテレビの日枝会長はこんなことをいっていた。
「違う業界から経営権を握ろうとする動きは全く予想していなかった事態だ。放送は国の財産であり、免許で電波を割り当てられている。総務省は資本の規制や審査など行政当局として色々なことを考えていると思う」と述べ、監督官庁である総務省の関与に期待感を表明した。(日本テレビNNNより)
ニッポン放送の新株発行もうまくいきそうにないし、フジテレビの作戦についてもどうやらライブドアの方が更に上をいきつつあるようだし、自分たちの力では危ないと思ったのか、今度は「おかみ」に助けを求め始めた。「国が自分たちをきっと守ってくれるはず」だそうだ。
この日枝という会長は、ライブドアの買収に対し「公共の電波を預かるものとしての、ジャーナリズムを守るものとしての責任」というものを振りかざして「我こそは正義」ということを主張し続けてきた。少なくともライブドアよりは自分たちの方が、公共放送の使命というものをきちんと果たすことができる、そう言い続けてきたはずだ。——だが、彼のいう「ジャーナリズム」とは、「国によって守られたもの」であったのか。それがフジテレビのジャーナリズムなのか。
一体、総務省によって保護されるフジテレビのジャーナリズムとは、公共の使命とは、何なのだ。ジャーナリズムとは、権力を監視し、批判するために機能するものではないのか。それを行なうべき人間が、自分の会社の買収に対し「国に助けを求め、国に守ってもらおう」と考えるとは何事だ。あなたこそ、ジャーナリズムというものを、放送局のもつ「公共の使命」というものを、何だと考えているのだ。
買収を防ぐ手段はなくなりつつある。もう万策尽きた。後は、監督官庁である国に助けを求めるしかない。買収しようとしている会社にジャーナリズムは任せられない。——であるならば、「国に助けてもらうぐらいなら、ジャーナリズムの担い手としてこの会社をつぶそう」ぐらいの気概はなかったのか。放送局は、そうでなくとも監督官庁の寄生の中にある。違った、規制ですね、ははは。一瞬、どっちが正しいかわからなくなったりして・・・コホン、規制の中にあるわけで、他のメディアよりも遥かに国家の意向や影響を受けやすい立場にある。だからこそ、少しでも国や監督官庁から独立した立場を保つことに細心の注意を払わねばならないはずだ。それが、こういってはなんだが、たかだか「会社が買収されて自分たち経営陣が追い出される心配がある」だけで、国に助けを求めるとは。
・・時が経つにつれ、「ジャーナリズムのためにも、一刻も早く、今のフジテレビの経営陣を追い出さなくてはダメだ」と考える人が増えつつあるように見えるのは気のせいではあるまい。ライブドアなら、少なくとも「国となれ合い」の関係を続けようとは考えないだろう。たとえ金の亡者でも、今の経営者よりはナンボかマシだ。
公開日: 金 - 3月 18, 2005 at 11:36 午前