やっと完結


「新選組!」の見逃した最後の十分をやっと見たのでした。ま、見なくてもよかったかなこれ。

ようやく「新選組!」を最後まで見られましたよ。はっきりいおう。「最終回は、無駄に長かった」と。ほとんど後半は浪花節のお涙頂戴で、正直いって見てられなかった。でも、ま、これがウケるんだろう。もっとバカなところに面白さを感じてた僕みたいな視聴者は少なくて、多くは近藤勇が最後に死んでいくところで号泣して「は〜、よかった〜」と思うのだろう。てか、そう思わない人間(オレオレ)がなんで最後まで見てるんだ(笑)。時として、自分で自分がわからなくなるよ。

で。新撰組が終わって、来年は「義経」だという。うーん。結局、新撰組も終わってしまえば「大河ドラマ」という一つの流れの中にうまいことはめ込まれてしまっていた気がする。やっぱり、大河ドラマは大河ドラマという感じ。で、次は義経ですかい。既に今の段階からしてなんとな〜く想像がつきそうな感じがする。日本人好みの題材だものね。颯爽と登場し、素晴らしい活躍で鎌倉幕府という新政権の誕生に尽力したのだけど、兄である頼朝に憎まれて東北へと逃れ、そこで殺されそうになったところをなんとか大陸へと逃げ延び、ジンギスカンと名前を変えて大モンゴル帝国を樹立する。・・あれ? なんか間違えてるかオレ?

そうやってあらすじを辿ると、新撰組とタブって見える部分があるね。義経自身のキャラクタも、あるいは近藤勇とかぶってる気がする。義経という人物を一言でいうなら、「新しい時代への変わり目に登場し、実力(戦力)としては大きなものを持っていながら、時代を見る目を全く持っておらず、当然の理として消えていった人間」——というのが僕の見方だ。たぶん、世間一般の見方とは少し違っているだろう。だが、そういう目で見ると、これは新撰組などとかなり重なって見える部分が多いなぁ。

改めて最近の大河ドラマを見てみると、なんというか「今の時代」というものを感じる。ここ十年ばかりの間の大河ドラマを見ると、基本的に「体制側の人間」あるいは「体制側にとって差し障りのない人間」ばかりであるような気がする。新撰組、宮本武蔵、前田利家、北条時宗、徳川三代、忠臣蔵、徳川慶喜、毛利元就、豊臣秀吉、徳川吉宗・・。どれも「安心して見られる人間」ばかりだ。

以前はそうでもなかった。「風と雲と虹と」では平将門を取り上げたし、「山河燃ゆ」では山崎豊子の「二つの祖国」をドラマ化したりした。更には大河ドラマの第1回は「花の生涯」で、これは井伊直弼という、幕末政権下の唯一の汚点みたいな扱いを受けていた人物だ。ときどき、そういうものを取り上げるところに、NHKのわずかばかりの良心みたいなものを感じてたのだよね。それが、最近はそうしたものを取り上げなくなってきている。安定した人気の、かつ「人気があがっても体制側にとっては痛くも痒くもない人間」ばかりピックアップしているような気がする。

そういえば、NHKの何かの番組の後に「大化の改新」のドラマの宣伝みたいなのがあったけど、これも「国を自分の思い通りに動かそうとする蘇我入鹿を、中大兄皇子と中臣鎌足が討ち果たし、改革を実行する」みたいな紹介でありました。やっぱりね。蘇我入鹿は、決して主役にはならないんだよね。悪役と善役が既に決まっていて、見る側が安心して見られる話。

NHKは、冒険をしなくなった。少なくとも、今の政府などが眉をひそめて「こういうものを大河ドラマとして作ってもらっては困るね」というような題材を取り上げることは絶対になくなってしまった。いや、NHKばかりではないだろう。民法も、だんだんそうなりつつあるのではないか。

とても不安なのは、「人々がそういうものを望む」から、そういう安心して見られる作品ばかりになってくるのではないか、ということ。みんな、安心して見られるドラマが好きなのだ。現状を肯定し、今の世の中に毫も影響を与えることのないもの。多くの人は、今、少しずつ保守化に向かいつつあるのではないか。「テレビドラマで何を大げさな」と思うだろうか。少なくとも、多くの人の間から「今の時代を破壊するような新しいもの」を喜ぶ感覚が薄れ、保守的なものに安息を感じるようになってきつつあるように思うのは気のせいだろうか。

「新選組!」で、「自分の信じるもののために命を賭ける姿はすばらしい」的な感動をもった人はたくさんいるだろう。きっと、次回の「義経」でも同じように感動する人々はたくさんいるだろう。そうして、ふと気づけば「おかみのため、お国のため、命をかける人々は美しい」的な感動ばかりが世に溢れていくように思うのは、深読みのし過ぎだろうか。

おかみへ反抗し、お国のためというものにあくまで反対し、命を賭けた人々もいる。そちらのほうが、僕の目には圧倒的に美しく映る。だが、そうした人々を取り上げ、その生き様に感動できる機会は、今、ほとんどなくなりつつある。そうした人々は、決して華々しいスポットライトを浴びるところには出てこない。そういう世の中になりつつあることは、これは不幸としかいいようがない。新撰組もいい。義経もいい。だが、そうした人々とは全く別の側にいる、美しく輝いて生きた人々もたくさんいることをも見て欲しいと思うのでした。そうしたドラマこそ、今の時代に必要なんではないのかなぁ。

公開日: 土 - 12月 18, 2004 at 10:34 午後        


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