銅像は建たず


ハラケンが亡くなった。銅像はまだ建ってないけど、迷わず成仏して下さい。

原健三郎氏が亡くなったそうだ。享年97歳とのことだから大往生だろう。この人、みんな知っているだろうか。「ハラケン」といえば、記憶にある人も多いに違いない。——この人、ちょっと変わったキャラクタの政治家であります。少し人を食ったようなところがあって、一時、テレビなどでもよく顔を見たものだ。が、政治家としては「歴史に名を残す」ような人間ではなかったと思う。はっきりいって、「生前、何をしたのかもわからない」程度の人だった。死者を鞭打つのはよくないことだろうが、あえていう。この人は、そのへんにごろごろしているような程度の「平凡な政治家の一人」でしかなかった。

この人のキャラクタはなかなか面白くて好きだった。だが、僕は「政治家として」この人間が大嫌いだった。なぜなら、後年の彼が政治家としてもっとも尽力したことが「国会に自分の銅像を建てる」ことだけだったからだ。——国会では、議員として50年以上勤めあげると、国会議事堂内に銅像を建てる権利を取得できるらしい。そして彼は、ただそのことだけのために国会議員を続けた。最後の選挙のとき、「今度当選すれば、自分の銅像が建てられるんです。だからお願いだから当選させて下さい」と老体に鞭打って走り回っていた姿を今も覚えている。

自分の銅像を建てるために国会議員にして下さい。——おそよ今まで存在した国会議員の中で、こんなバカげた理由で選挙活動をし、当選した人間はいまい。どんなボンクラ政治家でさえ、選挙のときは、たとえ嘘でも「国のために力を尽くす」ことを誓うもんだ。自分の銅像を建てたいなどという、「私個人の利益と名誉のために国会議員にして下さい」などと訴えた人間は皆無だったんじゃないか。国会議員は個人の所有物じゃない。国のあり方を決め、国を運営していくために適した人間を、自分たち国民の代表として選抜するためのものじゃないか。たとえ一人であっても「自分の利益のため」しか考えていないような人間に与える席などない。
 ・・まぁ、そんな人間に投票する人間が腐るほどいたから当選したわけで、彼一人の責任にはできないかも知れない。「お世話になったこの人のためになるんなら、日本という国がどうなろうが知ったこっちゃない」という人間がそれだけたくさんいたわけだ。そんなレベルの低い国民にふさわしい、レベルの低い政治家が当選したというだけなんだろう。

「在職50年」で銅像を建てられた人間は今まで2人いる。一人は、「憲政の神様」とまでいわれ、今も若い人間が政治家を目指すときに必ずと言っていいほど「目標となる人、理想の政治家」として名前の上げられる、尾崎行雄だ。もう一人は、田中角栄以後の大混乱の時代に唯一「与党内リベラル」であり続けた、三木赳夫。——この2人に並んで、自分の銅像が置かれるということをハラケンはどう考えていたのだろうか。僕は思うのだ。本当に、建てて欲しかったのか。「恥ずかしい」とは全く思わなかったんだろうか、と。——もし、僕が国会議員で、「あなたの銅像を尾崎行雄の隣に建てることに決まりました」などといわれたなら、「お願いですから勘弁して下さい」といって議員を辞めてしまうんじゃないだろうか。憲政の神様の隣に自分の銅像が偉そうに置かれている、そんな状況を想像しただけで冷や汗が出てこないか?
 ハラケンは、自分が尾崎行雄に並び称されるほどに立派な政治家であったと本気で思っていたのだろうか。それとも、「自分がそれほど立派でないことぐらいわかってる、だけど銅像は欲しかった」のだろうか。

銅像でふと思い出すのは、僕が密かに文章の師と仰いでいる故・藤沢周平さんだ。彼は、故郷に郷里出身の田沢稲船という作家の銅像があるのを差してこういったそうだ。「私はあんなのはイヤですね。晒しものになっているみたいでね」——その話を聞いたときに僕はちょっとショックを受けたもんだ。銅像になることを「晒しものになる」というその感覚。そういう視点があることを僕はその時まで気づかなかった。

西郷さんや忠犬ハチ公みたいなものも確かにあるけど、世の中のあちこちにごろごろ乱立する「この人、誰?」というような銅像。そのほとんどは「晒しもの」だ。「あ〜この人はそんなに銅像になりたかったんだねえ」という目で見ると、その人間がどういう人間だったのか、なんとなく想像がつくような気がするからだ。名誉や名声や権力が欲しい、死んだ後も地獄にまで自分の地位を抱きしめて持っていきたい、そういう人間なんだろあんた? 銅像に僕はそう問いかけてやりたくなる。(←天国に行く人は?と思った人。自分の銅像を建てたいと思うような人間が天国になどいくものか)

ハラケンの銅像は、未だに国会議事堂に建てられていない。在職50年で銅像を建てることに対し物議を醸した時期があり、結局うやむやになってしまってるらしい。その後、中曽根、桜井と在職50年議員がぼこぼこ出てきて、日本人の平均寿命が伸びることで50年を割と簡単にクリアできるようになってきたからだ。「このままじゃ国会が銅像だらけになる」「これ以上建てたら議事堂の床が抜ける」ということで、「もういい加減、こんなバカなことは止めよう」という方向に進んでいるんだろう。

あの世で自分の銅像が建てられる日を今か今かと待っているハラケン。いくら待っていても、どうやらそれは無理そうだよ。良かったね。少なくとも、死んだ後々まで晒しものになることはないんだから。

公開日: 土 - 11月 6, 2004 at 07:13 午後        


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