国立市景観訴訟


国立市の大学通りに建ったでっかいマンションの問題で、控訴審判決が出たそうだ。

東京地裁で、国立市の景観訴訟の控訴審判決が出た。——これは国立市の駅前の大学通りというおしゃれ〜な通りに、どーんとでっかいマンションを建てちゃったやつがいたんで、「ここはおしゃれな街なんだから高い建物なんて建てちゃ駄目!」と住民が「マンションの上をちょん切れ」と業者を訴えた裁判。これは要するに「街の景観」というものに対する裁判だね。おしゃれ〜な町並みはその地域の住民が作り上げてきたものなんだから、一つの財産でありそれを守る権利があるんだ。そういう考えね。で、第一審では住民の意見が取り上げられて勝訴したんだけど、今回の控訴審では「いや、そこまでの権利はないっしょ」ということで業者側勝訴、住民側敗訴になってしまいました。

この裁判が与えた影響はけっこう大きかったらしくて、6月に「景観法」なんて法律までできてたんだね。いやいや勉強不足でほとんど知りませんでした。最近は、こういう「町並み」というものに対する価値というか値打ちというか、そういうものがけっこう一つの権利として認められつつあるらしい。なるほどなあ。

——でもね。この国立市の景観訴訟の記事を見たりしたんだけど、正直いって僕には住民側の訴えるものがほとんど胸に響いてこなかったのは事実なんだな。もちろん、その建物の違法性とか市の条例違反とかそういう法的な争点なんかはあるんだろうけど、そういうのはちょっと脇において。この「街の景観を守るんです」という訴えそのものが、どうもうまくこちらに伝わってこないんだよ。いや、もちろん「街の景観を守る」っていうことはわかるんだよ。そういうのがこれから大切になるってのもよくわかる。でも、何かちょっと違うんだなあ。

なんでなんだろう、と考えてみたんだけど、どうもこれは「おたくらは国立市だからそんなことをいえるんでない?」という感じがどうしても拭えないからだろう、ということに気がついた。国立市という、おっしゃれ〜な街だから、「この街の景観がうんぬんかんぬん」とかいえるんでないか。国立市は、駅の近くに一橋大学があって、なんというか文教地区といった感じの街になってる。もちろん、古くから住んでいる人も多いんだろうけど、後から移り住んできた人ってのは、どう考えても「東京近郊のおしゃれな文教地区に一戸建てを買える人」なわけで、とてもじゃないがオレにゃあ住めない街なわけよ。(←この辺、かなり偏見が入ってます、はい)

「要するに拗ねてんのかお前は」といわれれば、そうかも知れない。——ただね。この街がおしゃれな景観を保っているのは、果たして住民の努力によるものなんだろうか、と思うのだよね。もし、ここにあるのが一橋大学でなく、大規模なゴミ収集センターだったらどうだったろうか。みんながここに移り住んできて、おっしゃれ〜な街ができただろうか。あるいは、住んでいる人の多くが町工場の経営者だったらどうだろうか。一階が工場、二階が住居、社員3名、みたいな、そんな零細企業の働き手がこの街にどっと移り住んでいたらどうだったろうか。

国立にはゴミ焼却場もない。火葬場もない。でっかい墓地もない。自衛隊は隣の立川に押しやり、ゴミ処理場はこれまた隣の国分寺に押しやり、刑務所はこれも隣の府中に押しやる。この街には、そうした住民に不快な思いをさせる施設は何もない。人々が暮らす上で絶対に必要であり、必ずどこかが負担しなければならないそういう負の部分をすべてよそに押しやり、「私達の街の美しい景観を守りましょう」という。——僕にはそんなふうに見えてしまうんだよね。

世の中にはさまざまな街がある。そしてその多くは、「景観を守ろうといわれたって、そんな守るべき景観なんて遥か昔に失われてしまったよ」という街なんだと思う。家族で働く小さな工場がひしめく街。若者の多くが離れ老朽化した建物をなおす経済力もない老人たちの住む街。貧しいが故に大企業の工場や原発、その他諸々の他に引き取り手のない施設を受け入れざるを得なかった街。そうした街に対し、「私達みたいに美しい景観を守ってこなかったからいけないのよ」といえるだろうか。

国立の人々は、自分たちとその街が、特別に恵まれたものであることをどこまで自覚しているだろう。そして、その恵まれた状況を維持するためにどれだけ他者に負担を強いているか考えたことがあるだろうか。自分たちが恵まれた境遇であることを考えず、その立場を当然のものと思い、守られるのが当たり前と考える。——そういう姿を何となく想像してしまうんだよね。まぁ、考え過ぎなのかも知れないけど。

僕は、決して「景観なんて守る必要ない」とか、「業者は住民のことなんて考えずにどんどんマンション建てちまえ」とかいうんじゃないよ。景観というのはこれから重視されてくる問題であることはよくわかっております、はい。例えば、えーとそうだな。・・もし彼ら住民が、「この街の景観を破壊するマンションを撤去して下さい。その代り、私達は誰もが少しずつ負担しなければならないものとして、その跡地にゴミ焼却場を誘致しましょう」とかいうなら、僕は諸手を上げて彼らに賛成し、応援するんだけどな。

国立の皆さん。美しい町並みには絶対に置きたくない負の部分をどれだけ受け入れられますか? 「既にこれだけのものを負担しているぞ」「将来、こういうのを負担するつもりなんだ」ということがきちんとした上で、「だからこれだけの権利を主張したい」というのであれば、僕もとってもすっきりするのだ。その辺、どうなのよ?

公開日: 水 - 10月 27, 2004 at 07:01 午後        


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