コラム実験・例えば現在のイラク side-A
イラクが泥沼化している。ほんとにケリはつくのだろうか?
米国のパウエル国務長官が、イラクの治安は悪化していると米国の政府関係者として初めて認めたのは26日だった。イラクは泥沼化している。首都であるバクダッドでさえ、一部は反政府軍の手に落ちているといわれる状況だ。——日本では、イラクに関する報道は日に日に減っている。テレビのニュースなどで大きく取り上げられることさえ稀になってきたけど、本当は以前にも増して注目しなければならない事態になっているんでないか。
イラクを、どうすべきか。——これが難しい。はっきりいって、ここまで混沌としたら、すっきりとした結末などあり得ないような気がする。イラクのあり方を決める上でもっとも大きな力を握っているのは、米国だ。米国がどうするかによって、イラクの今後は決まる。
「すぐさま撤退し、イラクから手を引く」——こういう意見もある。確かに、米国が今の事態を引き起こした。その責任は負わねばならない。だが、「手を引く」ことが責任を負うこととなるのか。今まで、米国とイラクの双方でどれだけの犠牲者が出たことだろう。ここで「全部チャラ」にするということは、それら犠牲者は犬死にだったことにならないか。イラクを民主的国家として再出発するとこまでたどり着かないことには、亡くなった人々は死んでも死にきれないのではないか。
米国のやり方が正しいとは全くいえない。だが、ここで手を引いたらイラクは完全に内乱状態となる。今でさせそれに近い状態なのだから。少なくとも、選挙を実施し、憲法を制定し、国として機能するところまでたどり着かせなければならない。一方的に始めた以上、米国は世界中の嫌われ者になってもそうすべき義務があるように思う。大丈夫、心配しなくとも君らは既に十分嫌われている。今更、もう少しばかり嫌われたからってどうってことはないだろう?
僕らは生まれたときから民主主義が当たり前のように行なわれている世界に住んでいる。だからこそ、民主主義というものを勝ち得るためにどれだけ多くの犠牲を払ってきたのか、顧みることを忘れている。平和というものは、無数の血の上に作り上げられてきたものだ。無慮数の犠牲を払って我々は民主主義を手にしたのだ。ときとして、僕らはいくばくかの人間の命よりも大切なものに出くわす。「民主主義を守る」ということも、あるいはその一つではないか。
おそらく、この先も多くの人々の命が失われるだろう。だが、そのために「民主主義を守る」という戦いを放棄してはならない。果たして米国の行なっていることがそうなのか?という疑問はもちろんある。だが、今この無政府状態が「民主的である」とは断じていえない。そのことがわかっている以上、世界は戦わなければならない。
民主主義のため、米国は戦い続けるべきである。でなければ、多くの犠牲となった人々が浮かばれまい。何のために犠牲を払っているのか、その根本を僕らは忘れてはならない。
公開日: 水 - 9月 29, 2004 at 06:04 午後