過去のレッテル
本日、Java本の見本誌が届いた。しかし、「掌田=Javaの人」と思う人はどれぐらいなんだろう。既にJava本は一番たくさん書いてるのだが・・。
今日届いたのは「Javaトレーニングブック」という本で、これが今年の出し納め(?)となる。これは、ある意味で記念となる作品だ。改訂を除くと、僕が書いたJavaの本は、これでちょうど10冊となるのだ(改訂を含めると11冊)。まだまだJavaは勉強しないといけないことだらけだけど、「まぁ、よくここまで書いたな」と思う。
僕が書いたプログラム関係の本の中では、現在、Javaが一番多くなった。次に多いのが、Macのオーサリングソフトの「ハイパーカード」というもので、これが7冊。その次が、やはりMacのスクリプト言語「AppleScript」で6冊となる。来年あたりには、AppleScriptはハイパーカードに並ぶんじゃないかと思う。
だけど、古くからMacを使っている人の中には、未だに「掌田=ハイパーカードの人」と思っている人はけっこういるようだ。既にハイパーカードの仕事をやめて何年にもなるのだが・・。それだけ当時の僕の仕事を記憶してくれているというのは嬉しい。が、いつまで僕はハイパーカードのレッテルで見られるのだろう。
人間は、変わる。人によっては、このことを悪くとらえる人もいるし、よくとらえる人もいる。「あいつ、変わりやがった」といわれることもあれば、「まぁ、変わったわねえ」といわれることもある。——不思議と日本では「変わる」ことより「変わらない」ことのほうが偉いように見る人が多い。「私の信念は変わりません」的なことが、さも素晴らしいことであるかのように思われたりする。
僕は、「絶対に変わらない信念」なんて持ちたくない。頑固にこだわり続けるものなんていらない。それは、例えば愛する人とか、友達とか、そういうものであれば変わらずにありたいと思うけど、少なくとも「信念」だとか「思想」だとかいった観念的なものに「こだわり」なんて、考えただけで虫酸が走る。
僕は既に「ハイパーカードの人」ではない。ハイパートークというスクリプトの書き方も既にうろ覚えだし、ソフトの使い方もあらかた忘れてしまった。それでいい。過去に自分のなした仕事に誇りやこだわりなんて持ちたくない。そんなものは、他人が考えることだ。「あいつは仕事に誇りを持ってる」とか「あいつの仕事にはこだわりが感じられる」とかね。少なくとも、自分から得意げに振り回すもんじゃない。
今、10冊目のJavaの本ができあがった。それの出来が悪ければクソミソにいってください。よければ誉めて下さい。それで十分。過去、僕がどんな仕事をなしたかなんてどうでもいいことだ。過去のレッテルなんていらない。
公開日: 土
- 12月
13, 2003 at 07:17 午後