唐辛子の秘密

近畿日本ツーリスト出版部発行 ジョイフル95年7月号より抜粋


唐辛子の歴史

 唐辛子の原産地は中南米である。l492年に新大陸を発見したコロンブスがトマトやジャガイモ、タバコなどとともにスペインに持ち帰ったときから世界に広まっていったというのが定説だ。
「文献によれば、l493年にコロンブスがコーカサスのペパーよりも辛いペパーを持ち帰ったと記されていますし、コロンブス説が有力だと思います」
 というのはスパイス研究の第一人者である武政三男さん。
 当時のヨーロッパは胡椒やナツメグ、シナモンなどをシルクロード経由でインドや東南アジアから輪入しており、大変高価なものであった。スパイスを手にすることは、富を手に入れることと同義だったのである。そこで、バスコ・ダ・ガマやマゼランはスパイスを求めて旅立った。大航海時代の始まりである。コロンブスの航海も、スパイスを求めてインドに向かうためのものであった。残念ながらインドにはたどり着けなかったものの、のちに世界中に広がることになる食物を新大陸からヨーロッパに伝えた点では、目的以上の功績があったということもできる。
「ただ、最初からスパイスとして唐辛子をもってきたわけではないようです。現地では唐辛子は胃腸薬的に使われていたものですし、ヨーロッパでも最初は薬用だったようです」
 原産地と同様に健胃薬的に使用されるほかに、育毛剤的にも使われていたらしい。唐辛子のもつ刺激と血行をよくする働きが育毛を促進するといわれていたようだ。
ヨーロッパに伝来した唐辛子は、その後急速に世界各地へ広まる。16世紀に入ると、ヨーロッパ諸国が積極的にアジアに進出するようになったが、このとき唐辛子も一緒に入ってきたといわれる。中継地点となったのは、のちに東インド会社が設立されることになるインドと見ていいだろう。そして東方貿易の拠点が東南アジアに広まっていくにつれ、唐辛子ば各国に伝えられていったわけである。急速に伝播した理由の一つは栽培の容易さにあった。ナス科の植物である唐辛子は種子が丈夫で、しかも土を選ばない。極寒地でない限り、種子をもっていけば現地で栽培することができたのである。だからこそ、土着化し、独白の唐辛子食文化が開花した。ここが熱帯でしか栽培できず、しかも収穫までに時間や手間もかかる胡淑との大きな違いだ。日本への伝来は、当時の時間感覚では早いといっていい。1542年といえばコロンブスの新大陸発見から数えても、わずか50年しかたっていない。しかし、伝来から普及までは長い年月を要した。
「長崎に入った唐辛子は、九州からストレートに本州には伝わらなかったのです。どこへ行ったのかというと、朝鮮半島に行ってしまった。文化圏的には北九州はむしろ朝鮮半島に近かったわけです。朝鮮では唐辛子のことを日本から来たということで『倭芥子』と呼んでいたようです。その後、豊臣秀吉が朝鮮出兵のときに連れて帰ってきた朝鮮の陶工が愛知県の瀬戸に移り住んで陶器作りを行っていましたが、その集落を唐人村と呼んでいた。そこで栽培されていたカラシのように辛い食べ物だということで、唐辛子と呼ばれるようになったのです」
 ただし、野菜と魚を中心とする日本の食生活はそれほど唐辛子を必要としていなかった。一般化するのは江戸時代に入って、七味唐辛子が誕生してからである。その七昧にしても、単に辛みを求めるというよりもシソや山椒などの香りとの組み合わせを楽しんでいたようだ。本当の意味で日本人が唐辛子を食生活の中に取り入れ始めたのは第二次大戦後だともいわれている。l950年前後から登場し始めたカレールウによって国民食となったカレーが、次にキムチや焼き肉という朝鮮料理が、そして最近ではエスニック料理が、薬味以外での唐辛子の食べ方を日本人に教えてくれたのである。確かに伝来は室町末期であった。しかし、本当の伝来はこれらの料理によって果たされたといえるだろう。


唐辛子の文化

 唐辛子がまったく使われていない国はないといわれる。他の香辛料に比べると、栽培されているエリアは驚くほど広い。土壌をほとんど選ばず、しかも厳寒地外は栽培可能いう種子としての強さが、広範な工リアに唐辛子を根付かせたといっていいだろう。でぱ實主舌のなかに大量に取り入
れられているエリア、つまり唐辛子
食文化と呼べるものが成立しているのは、熱帯、亜熱帯に集中している。
スパイスの辛み度の大小により、皮膚表面温度の温度差は変化するのである。辛ければ辛いほど皮膚表面温度は高くなり、放熱と発汗による冷却効果で下がったときとの温度差は大きくなる。
辛さで皮膚表面温度を調節するというのは、一つの国の中でも行われている。たとえば、インドては南に行くほど料理は辛くなるといわれている。亜熱帯に位置しているが、北インドよりも南インドのほうがずっと気温が高くなる。だから放熱・発汗を促進させるために、料理は辛くなっていくのである。朝鮮半島もやはり南に行くほど辛くなるという。
 唐辛子そのものも暑いところの方が辛くなるといわれている。
「日照時間と水はけによって、辛みが比例的に違うんではないかと思います。日照時間が短いところほど辛さは弱くなるようです。昨年の猛暑で韓国の唐辛子が辛くなったというのも、それを裏付けているのではないでしょうか。日本でも南のほうが辛い。栃木の三タカよりも九州のタカノツメのほうが辛いわけです」
 暑い国ほど辛い料理が求められ、また辛みスパイスの代表である唐辛子も、暑くて日照時間の長いところほど辛くなる。執帯・亜熱帯地域で唐辛子食文化が発展したのは当然の帰結といえよう。

唐辛子の香りを重視する朝鮮半島の特殊性

 文化という側面から見れば、唐辛子を使った料理が発展したのはスペイン系、北欧系、中国・インド系に大きく分類できる。
「スペイン系というのは、スペインの影響を受けているところで、メキシコなどの中南米もそうですね。メ
キシコには大きいのから小さいのまで、さまざまな唐辛子があります。
土壌もあるのでしょうが、好んで品種改良しているところもありますね。中国・インド系は東南アジアへと広がっていくわけです」
 これらが辛い唐辛子の文化国であるのに対して、ロシアを含む北欧系は辛くない唐辛子の文化圏として発展を見せる。
「北欧系ではカロチンが多量に含まれるものが好まれています。だからパプリカが欠かせないスパイスになっている。ハンガリーのパプリカが原形で輸出されていないのは、種が流出するとほかの国で品種改良されてしまうからです。外貨獲得の手段になっているのです」
 唐辛子は辛みと色のスパイスであることを考えれば、世界の唐辛子食文化は辛さを基本とするものと、色を基本とするものの2つに分類されるはずだ。ところが、朝鮮半島の場合は香りが重視されてくる。本来、唐辛子は精油成分が少ないため芳香性はない。逆に余分な香りをつけないということで重宝なスパイスとして使用されている。しかし、香りがまったくないというわけではない。その香りを生かすために品種改良を繰り返したのが朝鮮半島である。「そういう意味では朝鮮半島は待殊ですね。なぜ香りを重視するかというと、やはりキムチ文化なんだと思います。キムチ特有の乳酸発酵した香りに唐辛子は欠かせないものではないでしょうか。唐辛子にはほとんど匂いはないのですが、強いて挙げるとすれば、お酢。酸という匂いに非常に合うのではないか、だから日本でもユズ胡椒という形で使われているのではないかと思います」
 唐辛子食文化圏を見渡してみると、なるほど酸と唐辛子の組み合わせというのはけっこう目につく。まずその代表がメキシコのハラペーニョ。これは酢漬けにしたものが料理の薬味などに使われているし、同じような酢漬けはトルコやギリシャなどにもある。唐辛子に辛さを求める料理の一つであるタイ料理でも、やはり唐辛子の香りを生かすという。レモンあるいはライムの果汁がタイ料理でさかんに使われているというのも、この説を裏付けているといっていいだろう。
 昔から胡淑などの辛みスパイスを使っていた国では、いつのまにか唐辛子もその仲間に加わっていた。唐辛子のもつ特性から、他のスパイスの邪魔をせずに、自然に溶け込んでいったのである。そのさりげなさが唐辛子を世界的なスパイスの座に押し上げ、独特な食文化を形成していったのであろう。


唐辛子の効果

 唐辛子をはじめとして、胡淑、カラシ、ワサビなど、「辛い」といわれるスパイスはいくつもある。タマネヤやダイコンなどは野菜として認識されているが、立派なスパイスなのである。ただし、その辛みのタイプは口の中がカーッと熱くなる「ホット」と、鼻にツーンと抜けるような「シャープ」の2つのタイプに大別できる。唐辛子は、いうまでもなくホットタイプの代表であり、シャープタイブの代表がワサビやカラシである。
唐辛子の辛み成分は果皮に含まれるカプサイシンと呼ばれるもので、胡淑の辛み成分であるピペリンの100倍の辛さをもっているといわれる。少量で効果的な辛さが得られるこいうことは、胡淑に比べてコストパフオーマンスが高いということだ。これもまた唐辛子が世界に広まった一因ということもできる。
 スパイスとしての唐辛子の特性をもう一つ挙げると、精油成分の含有量が少なく、香りがほとんどないということである。他の香りを損なうことなく、純粋に辛みを高めるために使用できるわけだ。しかも、熱を加えても辛みは変化しない。香りがなく、熱にも強いということはさまざまな料理に利用できるということだ。こうした使い勝手のよさも、各国固有の料理に溶け込んでいった理由の一つであろう。

唐辛子を食べて効果的にダイエットができる?

 一般的にいう「味」とは、舌の味蕾で感じるものだが、辛さは痛覚で感じる。つまり物理的な刺激として受容しているのだ。これは皮膚についても同じこと。だから、飛びきり辛いカレーなどを食べると唇が腫れたりするわけだ。その昔、しもやけ防止のために靴の先に唐辛子を入れたりしたのも、皮膚の表面を刺激して末端の血行を活発化させるためである。食べ物として摂取すれぱ、口中や胃の粘膜を刺激するから消化液が分泌され、食欲が増進する。熱帯や亜熱帯で唐辛子が食生活の中心になっているのは、暑さで食欲が落ち、必要なエネルギー源を摂取できなくなるのを防ぐためだ。日本でも食欲の落ちる夏場でもカレーなら食べることができるというのと同し理屈である。
「それだけではありません。辛いものを食べると、交感神経の興奮が起こり、約10分で皮膚表面温度が上昇します。すると、皮膚表面の血流が増大し、汗腺の活動が高まる。要するに汗腺が開いて放熱が始まるのです。皮膚表面温度が上昇して、その後下降する。そのときの温度差が涼しさになるわけです」
 暑い国で辛い食べ物が発達したのは、生理的な意味でも理にかなっているわけだ。
「同時に細胞の代謝も活性化します。食事後の代謝量の変化を比べると、同じカロリーを摂取していても、辛いものを食べたほうが25%ほど代謝量が増大しています。代謝のためにはカロリーを燃焼させるわけですから、成人病のもとになる肥満を解消してくれるということになります」辛いものを効果的に取り入れて、食べながら痩せようというサーモダイエットは、筑波大学などで研究が進められているという。

パプリカのカロチン含有量はなんとピーマンの74倍

唐辛子は栄養学的に見てもβ-カロチンやビタミンCを大量に含んだすばらしい食べ物だ。β-カロチンは体内に摂取された後でビタミンAになる。ビタミンAには皮質の酸化を防ぐ抗酸化効果があるといわれている。脳の皮質の酸化を防ぐということは、老化防止につながるわけで、高齢化社会には不可欠なビタミンなのである。ただし、ビタミンAの形のままで過剰摂取すると弊害が生じる。それに対してβ-カロチンはそのままの形で体に蓄積され、大量に摂取しても害はなく、ビタミンAが不足すると、それを補う形でビタミンAに変わっていくという。だから安心して摂取できるわけだ。
 「唐辛子はカロチンを大量に含んだ食品で、ハンガリーで品種改良された辛くない唐辛子であるパプリカには、生のピーマンの74倍のβ−カロチンが含まれています。ピーマンー100g分のカロチンを小さじ3分の2の量で摂取できるのです。パプリカは辛みも味もなく、色を付けるためのスパイスですから、いろいろな料理に入れることができます。オムレツやハンバーグなどに入れれば、ピーマンが嫌いなお子さんでも必要なカロチンは摂取できます。むしろ喜んで食べてくれるはずです」
 ビタミンAやEは、脂に溶けやすく、脂と一緒でないとなかなか体内に吸収されない。どうしても脂分を
摂取しなければならないのだが、ここで唐辛子の特性の一つである代謝促進作用が生きてくる。また胃腸から吸収されたカプサイシンが副腎に作用し、副腎ホルモンのアドレナリンの分泌を活性化させる点も、脂肪分の燃焼につながっている。
 肉や脂をたくさん摂取するようになった現在、唐辛子はもっと摂取されるべき食品の一つでしょう。ただし、過度な摂取は禁物と付け加える。日本人の胃の粘膜は、唐辛子を大量に摂取している民族に比べれば、やはり弱いのだ。大量に摂取すれば胃酸が過剰に分泌され、胃酸過多でおなかが痛くなったりする。辛い料理を食べるときには、牛乳やョーグルトなどで胃の粘膜を保護したほうがいいだろう。