生原稿
       白球
                           清川 東 
  
 JRの駅を降りて歩くコト約2分、横丁の一角にある居酒屋へと入った。
「よーう宮本、コッチコッチ」
 10人も坐ればいっぱいのカウンターの隅から、なつかしい声がした。
「宮本ぉ、宮本だョ、あれ、ちょっとヤセた?」
 薮内は、あの頃とおんなじ口調だ。
「ヤブ、腹、きてねぇか」
「ハハハハ、25すぎたら、やっぱくるよ」
 ボクは一番隅のキュークツな席に坐ると、とりあえず、ビールを注文した。
「野球やってる?宮本」
「いやぁ、仕事が忙しくてやってねぇョ、ヤブ、やってんの?」
「オレ?、オレは高校以来やってねぇョ、腹みりゃわかるぢゃんハハハハ」
 しかしまだ、マスクが似合いそうな顔をしていた。薮内はキャッチャーで打順は6
番だった。ボクはセンターで3番。といっても、この年の野球部は予選2回戦で敗退
した。長い夏だった。ヒマで。
「部の奴には誰か逢ったの?、卒業して」
「いや、オレ逢わなかったんだョ、逢うとなんか甘えちゃう気がして…実は定職につ
いたの最近なんだ…」
 薮内も苦労したのだナ、と思った。
 ビールが運ばれてきた。チョン、と乾杯すると、ノドがカラカラのボクはゴクゴク
ッと飲み干した。
「宮本、彼女いるの?」
 ゲホッと一度、セキをしてから答えた。
「あ…ああ、同棲してんだ。結婚はまだだけど」
 ボクは、おしぼりで口のまわりの泡をぬぐった。
「ヤブは?」
 といいながら、ボクは薮内のブ厚い手がつまんでいるコップにビールを注いだ。
「ん?」
「女」
 スーッと鼻息を吸って、薮内は答えた。
「いないョ」
 それからしばらく、2人の会話は止まった。ボクは、どう会話を切り出そうか迷っ
た。趣味の話か仕事の話か、とりあえず後者にした。
「どう?、仕事、楽しい?」
「ああ、まぁ、仕事だからナ、でもな宮本、オレ野球部の練習があったから堪えられ
るんだョ。あの頃のキツイ練習に比べりゃ、会社なんて大したコトないさ。オマエ、
キャプテンだったし、自主練もよく誘ってくれたから…感謝してるョ」
 薮内は、あの頃と変わらない、くったくのない笑顔で言った。ボクは何て言ってい
いのかわからなかった。でも、ウレシかったから、何か言おうと思った。
「ヤブ…カッコいいョ、もうすぐ彼女できるョ」
「ああ…そうだナ」
 といって、2人の会話は再び止まった。
 実はボクの同棲相手は、元野球部のマネージャーだ。野球部時代、3年間、薮内も
ボクも、彼女に片思いを寄せていた。つき合い出したのは卒業してからだけど、薮内
の思い、わかってたから…。実はボクは、卒業してからも部の連中にはしょっちゅう
逢ってるし、いろんな奴を彼女の手料理でもてなしたりもしている。けど、薮内だけ
は呼ばなかった。薮内だけには知られたくなかった。でも、言わずに今日まで来てし
まったコトを後悔している。コイツは純粋な奴だ。3年間、ずっと一緒だったし、チ
ーム練習後の自主練にもよくつき合ってくれた。ボクは、陰険な自分がイヤになった。
薮内にあやまろう。
「なぁ、ヤブ、実はなぁ…」
「宮本、なつみちゃん…どうしてる?」
 ボクはドキッとした。なつみはボクの同棲相手の名前だ。
「ヤブ…あの…」
「つき合ってるのか」
「ああ、今、いっしょに住んでる」
 ボクは意を決して言った。薮内は目を細めて、ブ厚い手でつまんでいるビールの入
ったコップに目を落とした。そして鼻息をスーッと吸って、口でフーッと吐いた。
「…良かった…」
「え?、あ、ゴメン、いままで黙ってて、オマエの思い、わかってたから…言い出せ
なくて…薮内、許してくれ」
「…続いてて良かった…」
「何?…もしかしてオマエ、知ってた?」
 薮内は目を細めたまま顔をあげた。そして、語りモードに入った。
「卒業式の日、オレは校舎裏の花壇になつみちゃんを呼び出した。…告白するまで1
時間くらいかかったかナ。さらに彼女が返事をするまで、1時間かかったんだ。」
「だからオマエとなつみ、謝恩会、来なかったのか」
「うん」
「捜したぞ」
「わるい」
「それで?…」
「それで…オレ、謝恩会は出られなくても、野球部のお別れ会は出たかったから聞い
たんだ、もしかしたら宮本のコト、好きなのかって…」
「うん、そしたら、なんだって?…」
 ボクは、残りのビールを一気にグイッと飲み干した。薮内は目をパチパチさせ、お
ちょぼ口になった。どうやら、なつみのマネをするらしい。
「アタシ…宮本くんのコト、好きだけど…自信ないから…」
 薮内は裏声でそう言ったが、全く似てなかった。
「ふざけんなョ、似てねぇんだョ、バカヤロー、それで?」
「ああ、だから宮本も、なつみちゃんのコト好きだョって言ってあげたんだョ、終り」
「それでオマエ、どうしたんだ?」
「走ったョ、グラウンド10周」
「それでオマエ、野球部のお別れ会も来なかったのか」
「ああ…」
「青春だナ」
「ああ、青春だ」
 その時、ボクらの脳裏には、あの頃のグラウンドが映っていた。
 夕やけ空をバックに、片手に卒業証書の入った筒を持って走る学生服姿の薮内が、
しばらくすると沈みゆく太陽とともに消え、暗くなったグラウンドにスタンド・ライ
トが燈る。その中に、白いユニフォームを着たあの頃の2人が現れた。バッターズ・
ボックスから薮内がノックする白球のフライを、約60m先のボクが、どこまでもど
こまでも追いかけた。どこまでも、どこまでも…。
 ボクらは店を出て、駅までのネオン街を肩抱きあって、あの頃カラオケBOXでよ
く唱った、今となってはナツメロを絶叫しながら歩いた。ハテ?、どちらが誘って逢
ったのか、そんなコト忘れた。永年のわだかまり?、そんなものももうナイ。ただ唱
い、笑いあうのみだ。

 JRに乗って郊外まで約1時間、駅を降りて自転車で約10分、ようやくアパート
へ着いた。
「ただいま」
「おかえり、宮本くん」
 エプロン姿のなつみが、愛くるしい笑みを浮かべて玄関に立っていた。高校時代よ
り少しヤセたかもしれない。彼女も仕事をしているが、社会で生きていくのは野球部
のマネージャーよりずっと大変だろう。それでも今、マネージャー時代が心の支えに
なるコトはありますか?。エプロンに付いているお好みソースのシミが、いとおしく
見えた…。
「ねぇ、宮本くん何みてんの?、ねぇねぇ宮本くん、みてみて空、お月さま、まん丸
だョ」
「月?」
 なつみがサンダルはいて、ボクの手をひっぱって外へ出た。空を見上げると、白球
のようなお月さまが出ていた。ボクはフイに、瞬発力で彼女を抱きしめた。彼女のサ
ンダルが片っぽ、ぬげた。
「なつみ…結婚しよう」
「えっ、ウソ、宮本くん、マジ…」
「マジ…」
「…私うれしい、お月さま、まん丸の日にプロポーズされちゃった…、私、一生忘れ
ないよ。ありがとう宮本くん…あれ、アタシ、これから宮本さん?」
「ククククッ」
「フフフフフ」
 彼女はボクの胸に顔を寄せて気持ちよさそうにしていた。ボクは再び空を見上げた。
あの頃、どこまでも、どこまでも追いかけていた夢の白球が、こちらをみて祝福して
くれている。ありがとう薮内、ありがとう、なつみ。
 そして夢の白球よ、ボクは、まだまだアナタを追いかけてゆくつもりです。
 どこまでも…どこまでも…。
 
 






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