生原稿
       思い出の箱
                           清川 東

 黒のワンピースに真赤なルージュが決まっていた。女性に逢うたび、ボクの視線が、
まるでTVカメラのように下から上にパーンするのは不思議だ。女性からすれば、ボ
クのつり上っていく視線をどう捕えているのだろうか?、彼女はニコッと笑った。
「久しぶりだネ」
 そう言ったのは彼女の方だった。ボクは束の間以外は、彼女と視線をあわせられな
かった。3年前は、こんナにキレイではなかった気がする。
「うん、あの、エレベーターなかなか来ないんでさ、階段できちゃったヨ」
「え、ほんとに?、ここ14階だヨ」
 階段を昇ったのは本当だ。気持ちを拡散させる為には昇るしかなかったのだ。
「ああ、大丈夫、オレいつも鍛えてるから」
 明日は、きっと筋肉痛に違いない。

 14階のレストランからは、東京のネオンのピカピカが、やけに静かに見下ろすこ
とができた。そのピカピカの雫の一つが、ボクを回想モードへと引き込んでいった。
 誘ったのは彼女の方からだった。
「トウルルルル…」
「ピッ」
「はい、粟田です」
「あ…緒川です」
 …なつかしい感覚だった。その音霊から発せられるバイオリズムが、ボクの身体を
フワーッと包み込んで、胃袋より、もう少し上のあたりをじわじわとあたたかくした。
 それからは何話ししたかなんてわかんない。わかんないのに今日、約束守って待ち
合わせの場所に来てる、不思議だ。
「…粟田クン、元気だった?」
「あ、うん、まあ、鍛えてるからネ…夕子はどうなんだヨ、3年の間にずい分キレイ
になっちゃって」
「あ、3年前はそんなコト言わなかったじゃん、大人になったナ、ヨシハルクン」
 彼女はボクの下の名を口にした後、さっきウェイターがそそいだ赤ワインを、そっ
と静かに唇へと寄せていた。
「んなコトねぇヨ、似合ってるヨ…」
 ボクはグラス中の赤ワインを一気に飲み干した。確かに3年前は、女性の格好なん
て気付きもしなかったが、最近は多少気付く。でも、女性がボクの為にその服を選ん
で着て、ボクの為にルージュを引いて来たのだとは思わない。かたわらの女性にはな
るべく妄想を避けるコト、これがボクが3年の間につちかった知恵だ。
 それから、パスタをお供に、とりとめのない会話を2hour程して…ラストオーダー
となった。なんちゅー短い2hour、会社の会議や、1人で行ったつまらない映画はあ
んなに永く感じるのに…。
 さっきのウェイターと目が合うと、カウンターから、冷たい視線でボクらの帰りを
待っていた。
「あ…オレ払うヨ」
 彼女がバレンティノのバッグから財布を出したので、ボクは立ち上がった。
「いいヨ、ワリカンにしヨ…」
 歩きながら、彼女はボクに寄り添った。3年前には気付かなかった香水の香りに、
ボクの呼吸器系がアツくなった。
「…大丈夫、オレ払うって、オレ鍛えてるから」
「何を…?」
 ウェイターが彼女の疑問符を打ち消した。
「チャージ料、消費税込みで、12.050円でございます」
 …ワリカンにしとけばよかった。
 それでもエレベーターホールで待つ彼女に、待ってくれているだけでこみ上げてく
るなにかがあった。
「ぢゃ、私、明日、朝早いからココで…」
「ああ…」
 彼女はネオンの雫に呑み込まれていった。

 アパートヘ帰って、ヒーターを付け、風呂の湯を沸かした。タイマー予約しておい
た「火曜サスペンス」を2分だけcheckして全裸になった。そのままバスルームヘ入
ると、まだ沸いてなかったので戻り、全裸でヒーターにあたりながら「プロ野球ニュ
ース」を観た。
 湯船につかってホッと一息をついた。久しぶりの再会はウレシかったけど、彼女は
なぜ、ボクと逢おうと思ったのか、その真意は最後まで明かさなかった。
 冷水マッサージしながら、きっとあの男にフラれたんだとか、ボクとヨリを戻した
いんだとか、いろいろ勝手に妄想したが…それはいけない。そうしないように、ふん
ばれるように、ボクもなったんぢゃないか。余計ナ推測はやめよう。3年前、別れた
時「友達ではいようヨ」って彼女のセリフに同意したぢゃないか。別に逢ったってオ
カシくはない。友達…そう、これからはもっと人とフランクにつき合えるようにしよ
う。
 そう思ったボクは湯船に素潜り、ゆあげを羽織ると、筋肉痛予防に両モモをモミモ
ミした。

 あれから3日程たったろうか。水曜は休日出勤の代休で、うかつにも1日中、彼女
のコトを考えてしまった。そのあと2日会社に来ている。…そろそろコッチからTE
Lしてみっか、いや、それはスケベっぽいナ…あ、TEL番号何番だったっけ?…え
ーと、でもナァ、男らしくないなぁ…再会は一度キリ、つーのがダンディだろ…。
 そんなコトを会社で、単純作業の折りに延々と思量していた。

 会社がえりにフラっと書店へ寄った。ダンディズムの定義が書いてありそうな雑誌
を捜していると、教養のなさが災いしたのか、うかつにも「なつかしの給食大全」な
るムックを手にしていた。
 あー懐かしい…あげパン、はるさめスープ、冷凍みかん…思い出かぁ…思い出は思
い出のままがいい…思い出の箱は、そっと開けてそっと閉めるのがいい。…ボクの腹
は決まった。
 ボクはその本に感謝し、あとでそっと開こうとカウンターに持って行った。
「いらっしゃいま…あ…」
 いらっしゃいま…あ?、の声に、ボクの胃袋より、もう少し上のあたりが反応し、
ボクの視線が下から上にパーンした。
「…何時に終わる?」
「…8時…」
「…外で待ってるヨ」
「…お客さま、カバーはどうなさいます?」
「いいよ、そのままで…」

 ボクは外で、立ち読みしながら彼女を待った。
 裏口から彼女が出てきた。本にしおりを挟んだボクは、彼女を追いかけた。彼女は
チラッとこちらを向いたのに、歩を進め続けた。2人は競歩しながら、ゆくすえをは
ばむような冷たい風を感じていた。
「8時に待ってろって言ったろ」
「そんなコト言ってない」
「なに怒ってんだヨ、もう、逢わない気でいたのか?」
「…わたしの職場、捜すなんてサイテー」
「なに言ってんだヨ、偶然だヨ、オマエ転職したんだから知るわけないだろ、本買お
うと思ったら、キミがそこにいたんぢゃないか…」
「…ストーカーみたいなコトしないでヨ」
「オマエ…ふざけんなヨ、オレだって…オレだって、逢いたかったワケぢゃないんだ
ぞ」
「ついてこないでヨ」
「家まで送ってくぞ」
「ちょっと…ふざけないでヨ、そんなコトしたら、カレに怒られるの」
 彼女はボクをキッと睨んだ。ボクは立ち止まった。
 なんだか知んないけど、胃袋より…いや胸、胸だ、胸のあたりから熱いものがこみ
上げてきて、ボクの眼から、ボロボロと熱い涙が出てきた。
「ぢ…ぢゃあ、3日前、なぜ、オレに逢ったんだ、オシャレして、イタメシ屋で…そ
んなコトするなよ!!」
 彼女は立ち止まった。ボクは続けた。
「3年前、オマエに男ができた時…オレがどういう気持ちだったか、わかんねえだろ、
オマエを友達になんかみれるかヨ、オレはそんナに器用ぢゃねえヨ」
 彼女はフリ向かずに言った。
「ぢゃあ、なんで来たのヨ、断わればいいぢゃん、未練があるならあるって言えばい
いぢゃん、14階まで階段昇ってバッカみたい」
「黒のワンピースに真赤なルージュのオマエもな…」
「……」
 しばらくの沈黙のあと、それでも彼女はフリ向かずに言った。
「…別に、あんたの為にオシャレしたんぢゃないワ、うぬぼれないでヨ」
 その間中も、男のくせに、ボクの涙はポトポトとアゴから落ちていた。
 すると、カッコわるいんだけど、ボクの気持ちに変化が生じてきた。涙でボンヤリ
と彼女のうしろ姿をみていたら、だんだんと立ち止まってくれているだけでも奇跡だ
ナって思いだしてきたのだ。目の前の懐かしい背中は、かつて委ねられたあの時のま
ま…、ふくらはぎの形状も、あの時のままだ。まるで、幻をみているみたいだ。もう、
これでいいや。もう、彼女を攻めるのはよそう。
 そう思う間もなく…彼女の肩がふるえているのに気がついた。両手が顔を覆ってい
る。彼女もまた、泣いているのだった。彼女もなにかをガマンしていたのかもしれな
い。3年間、いろいろあった。ふんばったんだ…3年間。
「ゴメンなさい…」
 彼女はそう言った。
「…いいヨ、そんなコト言わなくていいヨ、キレイだよ…オマエの背中…3年前は気
付かなかった…、もう一度、逢えてよかった…」
 ボクはそう言うと、幻に背を向けた。
 駅はコッチぢゃないが、バスに乗ってかえろう。
 なんだか、この一歩から新しい人生が始まる気がした。一歩、一歩、一歩一歩一歩、
だんだん足の回転を早くさせた。一歩一歩一歩一歩、濡れた顔と筋肉痛のモモが、か
えって心地良さを与えてくれた。一歩一歩一歩一歩一歩、もう、彼女の方をフリ向く
気持ちはなかった。
 ボクは、いつのまにか開いてしまっていた思い出の箱のフタを、そっと閉めた。
 一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩…。
 
 






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