生原稿
日直日誌
清川
東
アカくてキレいな夕やけの日だった。日直であるボクは放課後、教室の自分の席で
日直日誌をつけていた。教室には誰もいなかった。もう一人の日直である女子の池田
さんは、バレーボールの部活があるからと黒板だけ消して、さっさと体育館に行って
しまった。
帰宅部であるボクはほとんど放課後、学校にいるコトはなかったが、オレンジ色に
染まる静かな教室にいるコトは、ロマンチストのボクにとって悪い気はしなかった。
フと、左ナナメ前の諸河有未さんの机に目をやると、ひときわ輝いてみえた。ボク
は思わず席を立ち諸河さんの机の前へ行くと、そっと木目に手をあてていた。
諸河有未は2学期の始業式の日に金沢から転校してきたばかりだ。中学に入って1
学期も夏休みもつまらなかったボクは、担任に紹介される彼女を一目みて「やった!
!」と机の下でこぶしを握り、ガッツ・ポーズを作った。諸河有未の出現によって、
ボクは2学期を生きる希望の光をみいだしたのだ。とにかくかわいかった。
ウチのクラスにもヒロイン的存在はいるにはいたが、美人系でちょっと手が出せな
い感じがイヤだったので2番手的な雰囲気の彼女に惹かれたのかもしれない。そうい
えばボクは小学生の頃、真赤なポルシェの山口百恵よりも木綿のハンカチーフの太田
裕美やひまわり娘の伊藤咲子の方が好きだった気がする。これはトラウマなのだろう
か、それとも家系の血筋やなにかなのか。
あれから一ヶ月。ひかえ目ながらも明るい彼女は何人かの女友達ができたようで、
今日もうれしそうに笑っていた。
そんなコトを思い出したボクは自分の席にもどり、日直日誌の<今日の感想>の欄
に思わず「諸河有未さんが今日もうれしそうに笑っていた」と書いてしまった。
アカくてキレいな夕やけが、ボクにそうさせたのだと思う。
翌朝、学校へ行くとボクの一つ後ろの鮎田の席に芹沢がふんぞりがえり、そのまわ
りに男子が3人、女子が2人程たむろしていた。フと気づくとクラスの全員がボクの
方をみている。一瞬「何?」と思ったが、チョー不良の芹沢が開口一番。
「井口!オマエ、諸河のコトが好きなんだろ!!」
と含み笑いしながら、いつものヤンキー口調で言った。耳をそば立てていた教室全
体がザワついた。イヒヒヒヒと芹沢の金魚のフンの鮎田が笑っている。手元には日直
日誌があった。ボクは昨日、思わず書いてしまった<今日の感想>の欄を思い出し頭
の中がまっ白になった。
芹沢のとなりにいた大柄の女子が言った。
「諸河さん、帰っちゃったんだよ、かわいそうじゃないかさぁ、井口どうすんのよ!
!」
と、その時ガラッとドアを閉める音がした。数学の大塚だ。塾の講師あがりの大塚
は、いつもタンパクで教室の雰囲気を察しもせず今日は担任が休みなので朝のHRは
ナシと告げると、出欠もとらずに授業を始めてしまった。一つ後ろの席の鮎田が小声
でイヒヒヒヒと再び笑った。諸河有未の友人たちは困惑な表情をみせている。
諸河さんが授業を欠席したのは転校以来、今日が初めてだった。ボクは頭の中がま
っ白のまま一時限目が終ると早退していた。ボクは早退は、1学期の5月にゲリピー
して以来2度目だった。
その後、彼女は学校に来なくなった。ボクの日直日誌をエサに芹沢や鮎田にからか
われただけでなく、転校生としてのみんなにはわかんないストレスもあったのだろう。
でも諸河有未の登校拒否の引き金を引いたのは間違えなくこのボクだ。
ちなみにボクはあれ以来、毎日学校へ通っている。ボクは乾物屋の息子だ。ガンコ
で大の巨人ファンでいつも政治家に悪態づいているオヤジの口グセが「働かんヤツは
国賊ゾ!!」なので、なかなか休ましてもらえない。中学に入って2日程、国賊にな
ったがそれもオヤジには内緒事なのだ。
そんなボクだが当然、学校には居にくかった。チョー不良の芹沢は頭のねじの締め
具合が悪いのか、昨日のコトもよく覚えてないようなヤツなのでまぁ良かったが、金
魚のフンの鮎田は不良にして神経質という一番イヤなパターンのヤツなので、時折ち
ょっかいを出してきた。女子からの白い目もあったが「諸河有未以外の女は女であっ
て女でナシ」と判断するコトにした。友達もなんか表面的には仲良くしてくれていた
が、ボクがいない所でのヒソヒソ話しているシーンを何度か目撃し「あれはボクの悪
口を言ってるのだ」と被害妄想が強くなり、ボクは学校では一人で過ごすコトが多く
なっていた。
ある日、意を決したボクは帰宅部なので授業が終るとそそくさと家へ戻り、イトコ
の結婚式の時に1度だけつけたヘアー・ムースをシュワーッとピンポン玉くらい手に
とり、髪をオール・バックにした。そして海苔と昆布を包装紙でつつみ、ダッシュで
店を出た。途中、配達用バイクにまたがるオヤジとすれ違ったが、イヤホンで日本シ
リーズ「巨人VS日本ハム」でも聞いてたのか、運良く気づかれなかった。商店街を抜
け坂道をしばらく下ると河川敷がみえてきた。日はまだ高かったがそろそろ沈みそう
だった。ボクは急いだ。
前に1度だけ、友達と釣りをした帰りに母娘で犬の散歩をしていた諸河有未を目撃
したコトを、今日の3時限目の体育で芹沢がパスしたハンド・ボールをもろ顔面に受
けた時、パッと思い出したのだ。そのシーンは確か、暑さもしのぎやすくなってきた
敬老の日の前後、場所はこの河川敷で、時刻は夕ぐれ時だったと思う。
もしかしたら今日も…と思ったのだが、日が沈みゆくにつれてだんだんと冷静にな
ってきた。ボクはなんで髪をオール・バックにして海苔と昆布を持って立っているの
だろう。バカバカしくなったボクはその場にしゃがみ込み、あの日直の日のようにア
カくてキレいな夕やけをボーッと眺めていた。
その時、放し飼いの犬がボクにからまってきた。ボクは驚いて立ち上った。そして
犬に免疫のないボクは10m程、全力疾走した。それがいけなかった。一緒に走った
犬が興奮して噛みついてきたのだ。なんでだよう。なんでボクがこんな目に合わなく
てはいけないんだ。ボクが海苔と昆布を持っているからか。
ボクはなんだか情けなくなってきて逆ギレした。帰宅部の自分、ロマンチストの自
分、1学期も夏休みも、そして2学期はもっとつまらなくなってしまった自分、希望
の光を自らの手で失ってしまった自分、美人の女子にビビっている自分、真赤なポル
シェより、木綿のハンカチーフやひまわり娘が好きだった自分、トラウマや家系の血
筋を気にする自分、日直日誌に余計なコトを書いてしまった自分、チョー不良の芹沢
や神経質な不良の鮎田が怖い自分、大柄の女子が怖い自分、ゲリピーの自分、転校生
の登校拒否の引き金を引いてしまった自分、毎日学校へ通っている自分、乾物屋の息
子である自分、オヤジが怖い自分、女子の白い目にビビっている自分、被害妄想が強
い自分、一人で過ごすコトが多い自分、今日、芹沢がパスしたハンド・ボールを顔面
で受けた運動音痴の自分…みんな、みんなイヤになり、ボクは真赤な顔で泣きくずれ、
犬にお尻を噛まれながら、赤い夕日に向かって叫んだ。
「ちきしょーーーーーーーーーーーーーー!!!」
一瞬、頭の中がまっ白になった。菩薩の唱える無我の境地とはこのコトか。そうい
えば日直の翌朝にも頭の中が白くなったが、あれとはちょっと違う気がした。しばら
くの沈黙のあと、ボクのお尻を噛んでいた犬がいなくなっているコトに気がついた。
「あの…」
「ゴメンなさい…」
遠くの方から、かすかに若い女性の声がした。おそらく飼主だろう。ボクはふり返
らなかった。さっき泣きくずれた時、同時に鼻水もたらしていたからだ。
「井口…クン」
…ボクは静かに目を閉じた。
その声の主は諸河有未だったからだ。
翌日、諸河有未は学校へ来た。ウン週間ブリの登校に、ボクに対する女子達の視線
がモノクロに回復した。だからといって、諸河本人からのボクに対する反応は無い。
きのう、ボクはあまりの恥ずかしさにそのままふり返らず、破れたお尻の穴も気にせ
んと一心不乱にその場を立ち去ったからだ。大丈夫。髪もオール・バックでテカテカ
だったし、それがボク、井口だったという物的証拠は何一つ残していない。ボクはさ
らに昨日、ほぼ同時刻に行われていたであろう日本シリーズ「巨人vs日本ハム」の試
合結果を、昨晩みておいたプロ野球ニュース通りに諸河有未の右ナナメうしろのボク
の席あたりで、さもタイムリーでみたように友人に語った。これでアリバイは成立。
昨日の逆ギレ男はボクではナイ。
ちなみにウン週間ブリにみる諸河有未の髪はショートになっていた。ショートもか
わいく、まるでウン週間の登校拒否がウソのように、今日もうれしそうに笑っていた。
その年の日本一は巨人だった。木枯しが吹く頃にはオヤジもやさしくなり、ボクも
諸河有未も少しづつ学校になじんできた。そんな中学に入って以来の精神的な好景気
を向かえていたある日、2学期になって2度目の日直がボクにまわってきた。
もう日直日誌に余計なコトは書かない。絶対に。今日は前回の日直の雪辱を果たす
のだ。そう自分に言い聞かせていたものの、その日にかぎって木枯しもなく、あの日
やあの日のようなアカくてキレいな夕やけが、ボクのロマンティシズムの導火線に火
をつけようとしていた。そんな放課後、もう一人の日直である女子の池田さんは、い
つもの通りバレーボールの部活があるからと黒板だけ消して、さっさと体育館に行っ
てしまい、帰宅部であるボクは案の定、オレンジ色に染まる静かな教室に一人となっ
た。
しかし、一人となったのは今日は、つかの間だった。机の中から日直日誌を取り出
した瞬間、あの日あの時あの場所が甦るような出来事が起こった。
「井口クン」
…幻聴かと思った。しかし幻聴ではなかった。ボクはあの時のようにふり返らず、
しばらく黙っていた。すると、
「この前は、ゴメンなさい…」
という声が返ってきた。しかしアリバイのあるボクは、しらを切った。
「何のコト、ボク知らないけど」
「でも…落としていった包装紙に「井口屋」って書いてあったし…」
「あ!!…」
っとボクは条件反射的にふり返った。教室の後ろに、海苔と昆布の入った包みを持
つ、ショート・カットの諸河有未が立っていた。
「あ…それあげるよ、入ってるの海苔と昆布だから…」
「え、ホントに、アリガトウ、お母さんよろこぶ…」
「え、お母さんが、よろ昆布…」
しまった。こんなところで乾物屋ギャグ。
「あ…うわ…ハハハハハ」
やった。ボクのギャグで諸河有未がうれしそうに笑っている。ボクが諸河有未を笑
わすコトは、ボクが彼女を一目みた時からの夢の一つだった。夢が一つ叶った。ボク
は机の下でこぶしを握り、彼女を一目みた時以来のガッツ・ポーズを作った。彼女は
微笑んで一言。
「それじゃ…さよなら」
「あ…うん、また明日…」
そうボクが言うと、彼女は小さく頷き、「井口屋」の包みを抱えて小走りに教室を
出ていった。ボクはまた教室に一人となった。
すでにロマンティシズムの導火線に火がついていたボクは上体を前に戻すと、日直
日誌の<今日の感想>の欄に「諸河有未さんが今日もうれしそうに笑っていた」と書
いてしまった。
アカくてキレいな夕やけが、ボクにそうさせたのだと思う。
bachgoo@mac.com
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